コラム

第4回 部長の涙

車いす社員を希望する

 
手術から1年が経った年の暮れに所長に会い、二度目の手術をしない決断をしたことを伝えた。

そして、車いすの社員として働けるのであれば引き続き今の会社で働きたいことも伝えた。

所長は少し驚いていたが、すぐに私の希望を理解し納得してくれた。

「営業所はどこもバリアフリーではないから、車いすで勤めるとなるとエレベータのある親会社の本社しかないね」

所長のその言葉に少し安堵した。
私が思っていたことをすぐに口にしてくれたからだ。

ただ、もう少しだけ注釈が必要だった。

「身障者用トイレがないと厳しいかもしれません」

私がそう言うと、所長はその場で本社の元同僚の課長にこっそり電話をして確認してくれた。

本社は10階もある大きな建物だったが、やはりどのトイレも車いすでは無理とのこと、ただ1階には来客用のトイレがあり、そこは車いすで唯一入れるということだった。

営業所から親会社本社への異動
営業から未経験の内勤への職種変更
身障者トイレの設置もしくは来客用トイレの使用

と乗り越えなければならないハードルがいくつもあった。

人事は本来会社側が決めるものであって社員の個人的な希望で動かすものではないが、今回のことについては特別な事情としてなんとか配慮してもらえるのではないかという淡い気持ちがどこかにあったかもしれない。

所長はそんな私の気持ちを理解してくれ、後日に東京支店長へ、そして支店長から営業部長へ希望を伝えてもらえることになったのだ。

東京支店の頃

 
群馬の前に赴任していた東京支店の頃は、わずか1年半ではあったが、支店常駐の部長と支店長にはほんとうにお世話になった。

部長は鬼という異名をもつたいへん厳しい人で、営業に対して一切の妥協がなかった。
才能よりも熱意と根性だけで、その地位まで上り詰めた人だった。

当時、愛媛から東京へ転勤したときは、まるで違う会社に入ったのではないかと思うくらい職場の雰囲気が違い、ある種のカルチャーショックを受けた。

まさに毎日が戦場のような雰囲気で、係長という役職があっても東京支店では入りたての新米として、徹底的に一から叩き直された。

本来直接の上司は支店長だったが、部長にとってはお構いなしで、支店長を飛び越して各所員に指示を出したり同行営業などで常に先頭に立って人を動かすスタイルだった。

今の時代ではアウトな暴言も日常茶飯事だったが、結果を出したときには鬼から仏の顔に変わる典型的なアメとムチを持ち合わせていた。

そんな環境のなか辞めていく若手社員もいたが、私にとってはその厳しさが刺激になっていた。

支店長はその逆で、営業センスが抜群なうえにユーモアがあり、いかに楽しく仕事をするかの姿勢を学んだ。
また仕事終わりの赤ちょうちんや帰りの電車内で、私を含めた部下へジョークを飛ばしながらその日の労いを怠らない人だった。

短い期間ではあったが、そんな両極端な二人のもとで揉まれ、私にとっては明らかに営業の幅が広がった1年半だった。

 
所長に希望を告げた数日後、予想はしていたが部長から直接電話がかかってきた。

その電話越しの声は柔和で、かつての鬼の部長のものではなかった。

「三浦君、車いすの決断まで本当に悩んだと思うけど、なんとか希望がかなえられるように、常務にお願いをしたから」

部長のまっすぐな気性は、厳しさにも優しさにも大きく振れる。
今は私のために全力でその優しさをぶつけてくれているのが語気から伝わり、ほんとうに嬉しかった。

後は、常務が社長にどううまく伝えてくれるかだった。

部長の涙

 
社長は完全に雲の上の存在だった。

当時グループ全体で3000人を超えるなか、三浦秀章という一社員の前例のない希望をどう受け止めるかは全く想像がつかなかった。

 
希望を所長に伝えてから半月が経っただろうか。

所長から電話が入り、1週間後に部長と支店長が群馬に来るという知らせだった。

私の希望のことについての言及をしなかったので、なんとなく不穏な感じがした。

ただその話以外は考えられなかったので、通院先で待ち合わすようにした。

 
そして、運命の日を迎える。

 
妻と二人で緊張しつつ病院のエントランスで待っていると、向こうから部長、支店長、所長の3人の姿が現れた。

部長と支店長は笑顔だったが、どことなく緊張している感じが見えた。

会うなり支店長が妻に少年野球用のバットを渡してくれた。

私の入院中に息子が野球を始めたことを知っていて、元高校球児の支店長のチョイスでプレゼントしてくれたのだ。

久しぶりに会うということもあり、最初は私の体調のことや会社では今こういう状況になっているというようなお互いの近況をしばらく話し合った。

そして約20分くらい経ってからようやく、部長が本題を切り出してきた。
 

「三浦君の希望のことだけど」

 
そう言った後、しばらく沈黙が続いた。

支店長と所長は顔をうつむいており、雰囲気でなんとなく回答の方向性を察した。
 

よく見ると、部長の目には涙が溢れていた。

鬼と言われた部長の涙を見るのはもちろん初めてだった。

それが頬に流れたのを見て、次の言葉への覚悟を決めた。
 

「申し訳ない、私の力不足で三浦君の希望をかなえることはできなかった」

 
そう言うと、部長は私に頭を下げ、人目も憚らず泣き崩れた。

就労移行支援 サスケ・アカデミー本部
本部広報/職業指導員
三浦秀章
HIDEAKI MIURA

36歳の冬、先天性の脊髄動静脈奇形を発症。 リスクの高い手術に挑むが最終的に完全な 歩行困難となり、障がい者手帳2級を取得。当時関東に赴任していた会社を辞め、地元の愛媛新居浜に戻り、自暴自棄の日々を過ごす。

41歳の冬、奇跡的にサスケ工房設立を知り福祉サービス利用者として8年半、鉄骨図面チェックの仕事に従事する。 50歳で一念発起しサスケグループ社員となる。

これからの目標・夢

障がいで困っている人の就職のお役に立ち、一人でも多くの仲間を増やすこと

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